赤ちゃんが無脳症とわかったのは
妊娠12週6dでした。
そのためすでに中期妊娠に入っていました。
正直私は発表された時点で
生きることができない赤ちゃんを
出産する勇気はありませんでした。
しかし、中絶を選ぶ=
中絶を決意するまで悩みました。
その時に無脳症の赤ちゃんを実際に出産した方のブログを読みまし
その方はお腹で元気に生きている赤ちゃんは
産まれたがっているということだから最後まで産みたい。
死産のリスクも高いと言われたが
死産になった場合は赤ちゃんが選んだことだから
それは受け入れるしかない。と書いていました。
私はその言葉にとても納得しました。
納得はしたのですが
私はお腹の中で弱っていく赤ちゃんを見ることはできない。
生まれてからは脳がないため
痛みを感じないで亡くなることはわかっているが、
と改めて自覚し、気持ちを整理することができました。
しかし、自分の子供が亡くなる日を決める
という辛さがあります。
また、赤ちゃんが無脳症になったのは
自分が原因だとずっと責めてもいました。
私の妊娠が発覚したのは結婚式1ヶ月前でした。
そのため忙しくあまり栄養が取れていませんでした。
無脳症とわかった時
葉酸不足と栄養不足だったことが原因ではないのか
赤ちゃんが私たち以外を選んでいたら
元気に産まれることができたのではないか。
私たちを選んでくれたのに元気に育てることができず
それなのに親の都合で中絶を選ぶのか。
と何度も考えました。
自分を責めていた私に
赤ちゃんが無脳症と診断された次の日の朝
旦那が私に夢の話をしてきました。
(私の旦那は飲食店で働いています。
無脳症と診断された5日後に
旦那が店長を務めるお店がオープンする予定でした。
旦那が見た夢とは
昨日の夢に性別がわからなくて
頭に靄がかかっている人が出てきて
「ちゃんと休むことできた?」
赤ちゃんが無脳症と診断されてからは
お店のオープンをのばし、旦那も休みをとれたので
久しぶりに家でゆっくり寝ることができていました。
私はそれを聞いて
本当にそういうことがあるかはわかりませんが
私たちの赤ちゃんが旦那を心配して夢に出てきたんだと嬉しくなり
無脳症であることも
もっと早く分かったかもしれない
逆に遅くなってたかもしれないのに、
この時期に教えてくれたのは
旦那を休ませるためだったのかなと
思えるようになりました。
私たちを選んだことは
赤ちゃんにとって不幸だったんじゃないかと
自分を責めていた気持ちも
お別れまでの少しの時間を悲しむのではなく
思い出になるよう大切にしよう
と切り替えることができました。
妊娠11週までの赤ちゃんは火葬ではなく
中絶の後、専門業者に引き渡します。
妊娠22週以降は法律で中絶することができず
母体に大きな負担がかかります。
12週6dというお別れもできる日を選んで教えてくれて
最後まで旦那の心配をしてくれて
まったくつわりもなく
4ヶ月間ずっと幸せな妊婦生活を送らせてくれた赤ちゃんと
最後たくさん思い出を作ってお別れをしようと
決意しました。